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踊る姿を思う

京都から車で向かうと、南丹市の天引(あまびき)峠をトンネルでくぐった先が篠山市だ。「兵庫県」「篠山市」と並んだ看板をきちんと確認してしばらくゆくと、〝デカンショ通り〟と掲げられた案内が視界に飛び込んでくる。行けども行けども、デカンショ通り。その看板は、妙に旅人の気をそそるのだ

デカンショとは、篠山の民謡「デカンショ節」のことで、篠山城跡の広場で毎年八月のお盆に開催される「デカンショ祭」が、とても有名なのだという。デカンショには「ドッコイショ」が変化したとか「出稼ぎしよう」の意味があるなど、諸説あるそうなのだが、折しも、そんな話をお聞きする機会が訪れたのは、その祭りを終えた一週間後の夏の日だった

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閉校になった小学校の校舎を活用し、地元の農家さんたちが運営している「里山工房くもべ」。代表である今井さんと、こちらも運営の一員であり、さらにデカンショ踊りの名手でいらっしゃる梶谷(かじたに)さんのお二人(踊りを教えるときに用いているという、梶谷さん手づくりの〝あし〟の先にいるのが、その殿方たち)

お二人は、くもべ小学校を卒業した先輩と後輩。市のお金を使わずに、地域の人がお金をだしあい、町にはじめてつくったという鉄筋の校舎に、誇らしく通っていたのであろう。「黒に白いラインのパンツはいて、運動会は裸足やったなぁ」そんな他愛もない話を聞いたり、小学校舎の教室を活用したアトリエなどを見学させてもらったりして、その日はデカンショについての知識をさほど深めることなく、くもべを後にした
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後日、庭仕事、黒豆仕事をされているという梶谷さんのもとを訪れた。本当は、梶谷さんの、現役91歳!?!の農家のお母さまの農作業をお手伝いしたかったのだけれど、機会を狙ううちに季節はすっかり、黒豆の師走に突入していた

今回の一冊をまとめるのに、旅をご一緒くださった三人のうちのお一人。阿部直美さんの「デカンショが気になる」を良い機会と、デカンショな梶谷さんのことを深めるひとときが訪れたのだった

踊りにあわせて唄われるデカンショ節には、三百以上ある。「デカンショデカンショで半年暮らす あとの半年寝て暮らす」が有名だが、「あとの半年泣いて暮らす」というのもある。米づくりを終えた男たちは、冬の半年は酒づくりの出稼ぎに行くため、残った女性たちが家を守っていた。そういうような、篠山の寄稿や風土、気質などを唄っているのが、デカンショ節というのだそうだ

照れながら、踊りの一部を見せてくださった梶谷さん。今年こそは、動画サイトの中で踊りを披露する梶谷さんではなく、生き生きと踊る様子を実際に見たいと、今から、自分の盆の過ごし方を想像しているのだった

(インターネットで「デカンショ」「踊り」と入力すれば、梶谷さんが踊りを教える様子の動画がポロポロと、こぼれています。お楽しみください)

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そして、旅人・阿部直美さんが篠山を訪ねたときのおはなしは、また、別の機会に

※阿部直美さんは、全日空の機内誌『翼の王国』の連載「おべんとうの時間」でお馴染みの、あの方です

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通過点であり、はじまりの | まいにちの時間 ―篠山と丹波― にコメントする コメントをキャンセル

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